人生を楽しむ考え方

「とても運が悪い一日だった。」と話すラッキーの国の大臣

当サイトではアフィリエイト広告を利用しています
不幸を嘆く男性

「今日は運が悪い一日だったなぁ。」

なんて思ったことは誰でも思ったことがあるんじゃないでしょうか。

かくいう僕も先日、久しぶりにそう思う出来事がありました。でも「運が悪い」という思い込みは実はとんでもない勘違いなのかも……

とても運が悪い一日

その日は少しばかりいい天気でした。

最近は割と天気が悪い日が続いていたので、

「やっぱり天気がイイと気持ちもイイな!今日はいい事があるかもしれんぞ!」

なんて思いで車を発進させたのでした。しかしそんな思いもつかの間、次々と災難が襲い掛かってきます。

  • 細い路地を走っていると、横から飛び出してきた車に突っ込まれそうになる
  • ゲオの駐車場に入ろうとすると、細い脇道から割り込まれる
  • 借りようと思っていたDVDが一切置いてない
  • 借りたCDが思っていたものと違った

用事がある図書館の駐車場に車を停めたところで深いため息をつきます。

「やれやれ、今日はついてな……!!」

なんだこの違和感は

「ついてない」と言いかけたところで、強烈な違和感をおぼえます。

(待てよ、これはまずい気がする。この考え方はとても傲慢なんじゃないか?)

(本当に僕は運が悪かったか?)

そんな疑問が頭に浮かびます。そこで少し思い返してみます。

  • 車は飛び出してきたが、事故にはならなかったし相手の人も頭を下げていた
  • 割り込みを受けてカチンときたものの揉めたりはしてない

……

これって逆に運良くないか?

だって下手したら事故したり揉めたりしてたわけです。実際に世の中には今も事故をしたり揉め事を起こしてる人がいるわけで。

そうだよ。それに比べたら全然運悪くないよ、むしろラッキーだともいえる。

というか借りたCDにいたっては完全に自分のミスではないか…!!

「運が悪い」と思う僕に現れた「もう一人の僕」

それなのに、

「やれやれ、今日は運が悪いぜ……」なんてどっかの不幸系主人公気取りをしてしまう。

お前はバカなのか? 一体どの口が言うんだと。

よく考えてみなさい。日本という平和な国で育って、まともな教育を受けられて、毎日元気に生きている

「お前なんてラッキーの国のラッキー大臣だろうが」と。

それなのに少し上手くいかないことがあると「運が悪い」?

やる事なす事良い方向に転がるとでも?

それはちょっと傲慢すぎやしないですか?

そんなもう一人の僕の心の声が聞こえてきた気がしました。

吾輩はラッキーである

……!!

たしかにそうだ。今こうして日々を過ごせていることは、とても幸運なことです。

日々のラッキーの積み重ねで今の僕は存在できているんです。

それを忘れてちょっと嫌なことや苦しい事・思い通りに行かない事があると、「なんて不幸なんだ」と思ってしまう。

これはとても危うい考えだ。あまりに傲慢で自意識過剰ともいえる考え方です。

違う、なんだ。

当たり前の日常を送れていることを、教育が受けられることを、仕事ができることを、頑張れば稼げるようなビジネスチャンスがあることを。

「ラッキーだ、ありがたい!」

とこう思わなければいけないんです。

「運が悪い」と言うもう一人の傲慢な男

そういえばもう1人、僕の身近にありがたさを忘れている男がいるので紹介します。

「うちの親父殿」です。うちの親父はギャンブルが好きです。

とはいえ昔はそこそこお金を使っていたものの、ある程度年をとってからはゲームセンターで使うようなレベルのお金で遊んでいるだけです。

以前彼がこんな事を言っていたのを鮮明に覚えています。

久しぶりに競馬で当たったのに配当が付かなかったよ~ツイてないなぁ!

……

「この男は一体何を言ってるんだ!?」

君はプロの予想家なのか? それとも競馬の関係者なのか??

イイや違う。

君はちょこっとスポーツ新聞の競馬情報を見たり、テレビでたまに専門家の話を聞いてるだけじゃないか。

しまいには語呂合わせで馬券を買うような男だという事を僕は知っている。

そんな男が何を言うのだ?

当たっただけでも御の字ではないか。そもそも配当が低いというのは、人気のある馬がきたからという理由で……

なんてことを思いながら、イラっとしたエピソードを思い出しました。

うん、僕も一緒だったんですねw 血は争えません。

さらにラッキーになるために

成功者たちは必ずこう言います。

ラッキーでした。

果たして彼らは運が良いから成功できたのでしょうか?

たしかに成功者が言うように本当に「運は良かった」のかもしれませんね。

でもやはり運だけでは成功できません。血のにじむ努力を繰り返して、失敗なんて数えきれないほど行ってきたことでしょう

毎日毎日、試行錯誤を続けながら打ちのめされてきたはずです。

それでも諦めずに努力を続けた結果としての成功なんですね。(彼らは成功したとも思ってないかもしれませんが)

「努力する → 失敗・成果が出ない」

といったプロセスを数えきれないほど繰り返した中の、ほんの一握りの良い結果なんです。

だからきっと彼らはそう言う意味で「ラッキー」という言葉を使うんじゃないでしょうか。僕はそうだと思います。

そんな風な「かっこいい、素敵なラッキー」を手に入れるためには、努力あってこそだと思うわけです。

まとめ

色鉛筆で書いた四つ葉のクローバー

ちょっとしたことで「運が悪いな」なんて思うことは実に贅沢で、傲慢な考え方なんだと今回改めて気づかされたわけでした。

我ながらダサいものだと。

日々はラッキーの積み重ねで出来ている。そんなふうに感じながら大切に過ごしたいですね。

そして成功者が口にするような「ラッキーでした」という使い方ができる、そんな生き方を僕も送りたいと感じた今日この頃です。

 

そういえば今年はまだ初詣にいけてなかったな。

……!

 

「そのせいか!!」

 

おしまい